「読書」

2000 Feb.29

Words By Kenji Kanno


読書をするようになったのは

いつのころだろう


高校のグラマーの教師に

ちょっと変わった人間がいた

1年のうちで授業は1/3で

後の2/3は読書に関する雑談である

新渡戸稲造を崇拝していて

その素晴らしさを説く事しかりである

読書は畑に種を蒔くようなもので

やがて芽が出て花が咲く

その教師の口癖である

またラグビーが好きで

東京で世界的なラグビーの大会があったときに出向いて

ニュージーランドの選手と話すうちに

ニュージーランドのジョンマクレションカレッジという

大学の日本語教師に招かれ

高校を止めてニュージーランドに渡った

もう30年以上も前の話である

 

私の読書はその教師に影響されて始まった

間違いのない事実である

 

一般的に誰もが読むであろう文学書は

毎日1冊のペースで読んだものである

ほとんど勉強はそっちのけで読み漁った

16歳くらいまで

殆ど読書というものをしてこなかった男が

何かに憑かれたように急に読み始めたのだ

回りは何事が起こったのかと

訝ったに違いない

 
ちょうど思春期の多感な時期である

倉田百三 加藤諦三 石川達三

谷崎潤一郎 太宰治

パスカル ニーチェなど

共感をもって読み耽ったものである

 
楽しむために読むのではなく

自分の心にふつふつと沸いている

止めようのない精神世界が

紛い物ではないことを確認するために

読んでいたようなものである

自分と同じ思いが綴られていることに

深い安堵を感じていたに違いないのだ

 
そこに顕わされていることは

人間の人間たる所以を

明らかにしているものであり

それは知識としては

マスターベーションのように

独り善がりに酔わせる

麻薬のような作用があり

若さが孤高を振り翳す

誤った方向性を導きがちである
 

また人間のどうしようもない部分を

あからさまに揶揄するものであり

そういった人間は往々にして

純粋を貶し蔑む結果を

与えてしまいがちである

それに我慢ができず

そういった人間とまみえることを

極端に嫌い

小さな殻に閉じこもり

攻撃から逃げ続け

精神に異常をきたすことにもなりかねない

 
読書はそういった負の作用も持ち合わせているのだ

そこまで真摯に読書をすることは今はない

物語の面白さ文章の美しさ

今は本というものを楽しむために読んでいる


このような軽い気持ちになれるまで

長い年月を要している自分の精神は

やはり異常だろうか?


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