「業と理性」
2000 Mar.5
Words By Kenji Kanno
SEX 闘争 名誉 出世 等々
人間は抗しきれない多くの業とともにある
このどうしようもない人間の必然を
これでもかこれでもかとばかりに
露にするのが
人間の存在の何たるかを
明らかにしようとする哲学である
自分の存在とはいったい何なのか
一度は誰もが疑問に思うことである
しかしこのような頭の痛い問題は
深くは考えようとはせず
笑ってごまかすのが常である
人間の中には
日常にこの業を見出し
それをあからさまにしている人間に
失望し嫌悪し心を痛めている者が少なくない
業に生きる人間はまた
業を否定する人間を嫌い
排除することしきりである
それが失望と嫌悪を増長させ
弱き者は鬱となり精神を蝕み
強き者は人間の業という
弱さを手中にして優越感を持つにいたる
そして孤高を振り翳すピエロとなるのだ
業に生きる人間も
理性に生きる人間も
何ら変わらない人間である
存在そのものが人間であるのだ
そこに共通するものは
いま生きている
そのことである
人間は考える葦に過ぎない
パンセで説いたパスカルの有名な言葉である
理性を説く傍らで業に流される
人間とは各も弱い存在であるが
宇宙をも認識できる素晴らしさを持っている
そのことを称えた言葉である
理性は振り翳すものではなく
生きる必然に優しさを与えるものである
業は良しとするのではなく
一つ現実としたなら一つ思い止まる
理性と業は相反するものではなく
一対として成り立つものなのだ
業に流されてばかりの自分に
理性は優しさを与えてくれるだろうか?
それが問題だ
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