「生きる証」
1999 July24
Words By Kenji Kanno!
80年の人生の
半分以上を生きているというのに
果たして自分は
年相応の大人なのだろうか
シングルの頃
ティーンエイジャーを見て
随分と大人に見えたものである
何が大人かということよりも
その存在そのものが大きく見えた
純な心は掛け替えのない宝である
果たして自分の存在を
他人が見るとき
人生の半生を過ぎた
大人に映るのだろうか
自分が自分を思うとき
いつまで経っても
変わり映えのない
子供じみた有り様に
幻滅している自分がいて
愕然とする
しかし何があっても
この子供心を失いたくはない
自分で自分の有り様を卑下して何になる
一般的には
大人とはどういうことなのだろうか
目的の違う
異なった一塊の
閉じられた社会には
人生の半生を過ぎた者にとっての
物事の理に感動する子供心を
大人気ないと
一言で片付けようとする風潮がある
この最先端のネットの世界も
文芸や音楽や美術の世界も
閉じられた社会では
訳のわからないものなのだ
そのような個々の社会が
それぞれの型に当て嵌めて
大人の子供心を排除している
そのような社会では
訳のわからない物分りの良さが
大人の象徴である
今の自分は
閉じられた社会では
人生に達したとしても
永久に大人に見えることはない
それはまた
型に嵌った優等生を嫌う
自分としての
生きる証でもあるのだ
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