「オリジナルソングの物語」

2000 Feb.6 Words By kenhappy!

2枚のCDに収められた

38曲の物語を聴きながら

そのひとつひとつを紐解いてみよう

そこには32年の時間(トキ)の流れが息づいている

「1967君の笑顔」

中学生の僕は加山雄三に憧れていた

今風にはシンガーソングライターであるが

当時は自作自演である

永遠の若大将になりたくて最初に創った曲だった

「1969若者の夢/真冬の子守唄」

中学生から高校生になる年で

「若者の夢」は中学卒業を控えた予餞会で

仲間とバンドを組んで演奏するために創った曲である

詩は2作品とも毎年行われていた作曲コンクールの課題詩である

この曲を聴くと今でもセンチメンタルな当時が蘇る

「1971故郷の海/愛の願い」

たいした勉強はしなかったが

高3の時で曲がりなりにも受験勉強をしていた頃である

音楽の授業で作曲があり

その時の課題詩が「故郷の海」であった

いの一番に創って披露したが

先生にはあまり受けが良くなかったように思う

素直で良い曲だと思うのだが

「愛の願い」は部屋の窓から

家の屋根に降りて夜明けを迎えた時にできた曲である

当時は学校から帰り夕食を済ますと

すぐに寝て夜中に起きて朝までの受験勉強であった

勉強したというよりも

オールナイトニッポン・セイヤング等の深夜放送に夢中だった

「1972君のふるさと/田舎に帰ろう/愛の流れ/

今日のクリスマス/可憐な花はもう咲かない」

大学入学の年である

たまたま中学の同級生と同じ大学に入り

その同級生が創ってくれた詞が「君のふるさと/田舎に帰ろう」である

その年の12月に作曲したが

そろそろ故郷が恋しくなる時期でもあった

この頃になると真剣に女性を意識し始める

創る曲も徐々に実らぬ恋が中心となってくる

「1973未来なき恋/しあわせな春/幼子でいたい/

ひなげしの花の思い出/僕の生まれた小さな町は」

恋から恋愛へ そして自分の原点を探す旅

当時全盛であった「小椋佳」さんに

音楽と詩において強い影響を受けた

「幼子でいたい/僕の生まれた小さな町は」は

そんな流れの中の曲である

長く自分の生まれた町を知らなかったが

この時に岩手の小さな港町まで旅に出た

とても優しい町で心が晴れた

「1974蒼い恋の思い出/君と暮らしたい/傷心からの旅立ち」

自分の独り善がりだとは思うが

大恋愛をしてこの年に別れている

「傷心からの旅立ち」は何もかもを忘れて故郷の街を出たい

そんな思いで創った曲である

京都の歌声喫茶「炎」のステージで歌って喝采を得た

「1975憂い/あなたの愛を/歳上の女」

この頃は創作に徹しており私小説的な作品創りはしなくなった

愛しき女への思い 醒めた心 軽い関係

そんな思いを曲にしたもの

「1978あなたは去った/いちずな思い」

社会人3年目

ほとんど創作意欲のない時期に入っている

何か創らなければとの思いで

何とか創った作品だと思う

間に数曲はあるのだが

これ以後11年まったく作曲をしていない

「1989今日また君に会いに来た僕です/あなたの胸で泣けたなら/

君の瞳は夢追人/幻人のあなたがいる」

平成元年に単身赴任で秋田に転勤した

毎日一人で過ごすのは結婚以来初めてである

これを機会にDTMでこれまでのオリジナルを

パソコンミュージックに仕上げようと決めた

ついでに新曲を7曲創った

創作に徹した作品である

「1998潮騒の思い出/さよならの砂時計/さよならの瞬間/

愛のすれ違い/道/Holy...silent x‘mas」

この年にインターネットにHPを開設した

詩をテーマにしているHPが多々あり

その中から詩をいただいて作曲した

創作意欲が沸いてきた年でもある

「1999かくれんぼ/人生は風のように」

インターネットから詩をいただいて

作曲した数は9曲になる

いずれもよくできたと自負している

自分のオリジナルの集大成がここに凝縮しているのかもしれない

しかしこれは自己満足以外の何物でもない

「人生は風のように」これからも

何かを求めてさまよい歩くだろう


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