「悲しい性」
1999 Oct.7
Words By Kenji Kanno!
ふと寂しくなることがある
今の時代を生きている自分が
10年20年と歳を重ねて
余命幾ばくもなくなった時でさえ
自分の思いとは無関係に
この世は動いて行くことに
深い寂しさを感じてしまう
自分が20歳の時にしたように
見知らぬ次の世代の人間が
胸を張って歩いて行く
ごく当たり前の理である
誰もがそうであるように
やがて死に忘れ去られるのだ
心を持った人間には
何と残酷な理だろうか
死そのものは恐ろしくはない
心で死を思うことが恐ろしいのだ
死は無の世界である
心を失った無は
何物も認識しない
今にあって
時代の矢の先端を歩き
最新の科学技術を享受しながら
生きている自分の存在が
ある日必ず無となり置き去りにされる
しかし
この世は何もなかったかのように
時を刻むのだ
死んでもなおこの世に影を残したい
そんなできもしない
大それたことを思ってしまう
悲しい性である
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