「聖戦」

2000 Sept.6

Words By Keji Kanno!


10代後半によく考えたものである

どうして国のために

特攻隊は死ぬことができたのだろう

聖戦を謳い天皇の名の基に

死して虜囚の辱めを受けず

無意味な戦争に

どうして玉砕できたのだろう


基本的人権の基に

自分の意思を貫くことのできる今

それらを若者が語る時

死の美学となった


雨煙る神宮外苑

昭和18年10月の学徒出陣に

三八式銃を背負い行進する学徒は

何を思ったのだろう

「生等はもとより生還を期せず」

果たしてそうなのか

何物にも妨げられない自分の意思で

本当にそう思ったのだろうか


家族を守り国を守り民族を守る

この誰しも持っている思いは

生きる時代に関らず

国民の心に純粋に存在するものである


この思いではなく

皇国を守り抜くために

天皇のために

「生等はもとより生還を期せず」

なのだろうか

否である断じて否である

意識するしないに関らず

すべては諦念である

逃れられない

時間と空間の接点に生きてしまった

悲惨な運命に他ならない

皇国のためでもなければ

天皇のためでもない

誰しも無意味な戦争から生還したかったのだ


思いがけなく

学徒当事者の思いを聴くことができた

長年の疑問が見事に吹き飛んだ


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