「卒業の日に思う」
2000 Mar.1
Words By Kenji Kanno
今日は卒業の日である
それぞれの学校を
それぞれの思いを抱いて巣だって行く
義務教育9年
高校3年
大学4年
すべて併せても16年である
学生時代は1年1年の時の流れは
長く感じたものである
現在なら3,4年などは
あっという間に過ぎてしまう
若ければ若いほど
時間の矢は遅く
歳を経れば経るほど
速く感じてしまう
このギャップはどうして生じるのだろう
学生の本分は勉学であり
吸収すべきことが山積している
遊びはしても
一定の単位で
学問を習得しなければならない
義務を背負っている
義務教育では正にそれは義務であり
高校以上になれば自主的に勉学を選択し
それを本分としている以上
それを放棄することは退学を意味するのだ
自ら望んで勉学の道を選択している学生には
きっとそれぞれの修学年数は
あっという間に過ぎてしまったかもしれない
また時間の短さを痛感しているかもしれない
しかし私も含め
勉学が好きで本当にやりたくて
学生となっている者はそう多くはない
試験の時に仕方なく
徹夜で俄か知識を詰め込むくらいである
程度の差こそあれ
やりたくないことを無理をしてやっている
そのような精神世界に流れる時間の矢は
当然のことながら遅くなるのだ
また若さが吸収しなければならない情報は
其処彼処に溢れており
構えた勉学以外でも
好むと好まざるとにかかわらず
広く知識を吸収しなければならない
いわば習得しなければならない情報の
プレッシャーの中に置かれているのだ
そうした自分の意図した以外の状況化では
時間の矢は遅く流れるのだ
時間とは意地悪である
社会人とて状況に目に見えた相違はない
それなのに時間の矢が速く流れるのは
報酬による責任が推進力となり
仕事をこなしているからだ
また歳を経れば
振り返る経験を包括する過去の時間は
振り返るという心の動作そのもので
短く感じるものである
心が感じる時間の概念は
心の置かれた状況で変化する
貴重な人生を綴るために必要な時間は
大事に使うように努力しよう
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