「対等」

2000 Feb.21

Words By Kenji Kanno


対等に付合うとはどういうことなのだろう

「いつもにこにこして良い人ね」

ローティーンの頃に言われたことがある

それは何を言われてもにこにこ肯定し

何をするにもにこにこ付いて行く

他人から見れば

従属を意味していたかもしれないが

それは従属ではなく

他人の意見に対する肯定なのだ


強い肯定ではない

他人の或る意見に対して

全面否定することなどあり得ない

それが明らかに法を犯したり

道義上問題のある場合は強く否定すべきだが

それ以外は肯定なのである


10代はそのようにして人間関係を築いてきた

そこには有形無形を問わず

純粋そのもので利害などはなかった


やがて社会人となり

好むと好まざるとにかかわらず

有形無形の利害が発生する


仕事という共通項で集まった集団であるはずなのに

仕事よりも人脈作りに奔走し

仕事の本分を追及し人脈を拒否する者を排除する

そのような者が蔓延っている


山は泰然として動かず

どんなに揶揄しようが

そこに大きな山があれば

誰も動かすことはできない

そのような気概をもって事にあたれば

人間としての尊厳は保たれる


敢えて孤高を翳して説いているのではない

YESマンばかりを侍らせて

何ができるのだろう


「すべては人と人との繋がりだ」

これが彼らの常套句である

利害で繋がる人の和は

利害が崩れれば終焉となる

だれが考えても結末は見えている


だがここまで深く考えることは稀なのかもしれない

多くは利害があったとしても

ごく軽い気持ちで振舞っているのかもしれない


対等に付合うということは

自分と相反するものを排除するのではなく

どのような状況化にあっても

理解するように努力することである


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