「タロとジロ」

2000 Apr.09

Words By Kenji Kanno


長く語り継がれた実話を

再び映像として見た

純粋な涙とともに

溢れる感動につつまれた

タロとジロの物語である


1957年と1959年の

初めて見る実映像で体感することができた


2年近くも置き去りにされたにも拘らず

その目は穏やかであり

主人との再会の嬉しさで一杯である筈なのに

落ち着いて泰然としている

そこには過酷な自然環境の中で

主人の帰りを待つことができたという

役割を成し遂げた時の満足感

というよりも威厳に満ちているように

私には思えた


このことは純粋の素晴らしさを教えている


単純にこの事例を人間に当て嵌める事はできないが

どんな訳があろうとも

人間ならば鎖に繋がれ2年も置き去りにされて

たとえその張本人との再会があったとしても

恨みこそあれ喜びなどは露ほどもないだろう

人間の感情は複雑である


犬の感情は単純であるが

それは人間に感動を与えて余りある

忠犬ハチ公も流れるものは同じである

我が家の愛犬でさえも

主人の帰りをバルコニーから

すっと待っているのだ

そこに複雑な思いはない

ただただ留守にした主人に会いたい

それだけである


そして主人を待つということにおいての時間は

主人が帰るまで止まっているのである

1年であろうと2年であろうと

主人と再会するまで終わらないのだ


人間も素になってタロとジロのように

振舞うことができたなら

どんなにか気がらくになり

寛容になれるだろう


犬を愛する所以がそこにある

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